ちょっと不思議な物語を

わらび餅でも食べながら、まったり読んでみてくださいね

短編小説『バベルの糸』 プロローグ

 彼は大人しい子でした。そうですね、編み物は⋯⋯実はそれほど得意ではなかったようです。  彼が得意だったのは、あやとりです。いつも一人で、夢中になって遊んでいました。  編み物は、やり始めた頃は苦労していましたが、何年か経った頃には立派に編めるようになりました。才能はあったと思います。不得手ではあったものの、編み物は誰にでも出来る事ではありませんから。  彼よりも編み物が上手な者は沢山いました。だから彼が居なかったとしても、あの世界は成り立っていたでしょう。  ただ、彼のように複雑に編み込まれた糸の解き方を知っている者も、世界を創るためには必要だと思ったのです。糸はどれだけ美しく編んでも、時が経てば解れます。美しい世界を維持するためには、彼のような者も必要だと。  あやとり遊びが好きな彼は、糸と指で様々な形を作る事が出来ました。お星様、梯子、山、蝶、川⋯⋯。一通り作って、最後にはその糸をスルスルと解いていきます。これには決められた手順がありまして、それを知っていると、複雑に絡まった糸を綺麗に解けるのです。  だから彼は、本能に近い形で理解していたのでしょう。あの世界の解き方を。

 結果的には、そうですね。私の見る目がなかったのか、或いは、この碌でもない現実を、私達は生きるべきだと教えてくれたのか⋯⋯。そう考えると、彼はある意味で、神様のような存在だったのかも知れません。

【掌編小説】蛍

 太陽の光が大地に届いていた時代から、蛍は人々から愛されていたらしい。でも、その時代の蛍は、私が知っている蛍ではなくて、虫だったそうだ。緑色の光を放つ虫が、夏の夜、川辺で美しく漂っていたんだって。私の家にある本に、そう書いてある。  想像も出来なかった。私は虫が苦手だから。蛍は、もっと神秘的で、私達を救ってくれるものだから。

 大昔、人間は人間が想像出来得る限りの発明をしたと聞いた。遠く離れた誰かと意思疎通が出来たり、映したものを、まるで本物のような絵に現像出来たり。そして、空を飛んだり。空には月があるけれど、あの月にさえ、辿り着けるくらいの優れた技術を持っていたんだって。

 そんなもの、くだらない嘘だと思っていた。だって、おかしいじゃない。そんな魔法みたいなことが出来るくらいに賢かったのなら。あの綺麗な月を目指そうとする、その心があったのなら。

 どうして人間は、世界を黒く塗りつぶしたの?

 私は蛍が好き。黒い世界の中で、優しく私達を照らしてくれて、力をくれる。蛍がないと、私達は生きていけない。いつからか、私と一緒に暮らしている、小さい頃に出会った、女の子。彼女は目が見えないから、自分で蛍を捕まえることが出来なかった。私は彼女の代わりに蛍を捕まえて、二人でその光を分け合った。二人で蛍を掌に包んで。お互いの指の隙間から漏れる、優しい緑色の光。その光から元気をもらって、私達は少しだけ笑うことが出来た。目の見えない彼女にも、あの光を見て欲しかった。

 ある日、ちょっとしたすれ違いで、私は彼女を見失ってしまった。目が見える私が、見失った。この日ほど、自分を罵ったことはなかった。大馬鹿者の私は、彼女を死なせてしまったんだ。  私にとっての光は、蛍と彼女だけだった。彼女がいなくなったら、不思議と蛍を捕まえたいと思わなくなった。

 ただ黒いだけの世界で。私はひとりぼっちで。

 それでも、歩く気力があるのが不思議だった。私はもう生きたくないのに、どうしてだろう。目を閉じればいいだけなのに、足が千切れそうになるほどに歩いた。

 何処かを目指していた。何かを求めていた。

 そうだ。私は、会いたいんだ。出会う度に、僅かな時を過ごして、そして失ってしまった、家族や友達。彼らには名前がなかった。自分にも、名前はない。出会ってもすぐに、どちらかが居なくなることが分かっているから、私達はいつの頃からか、名前を呼び合うことをしなくなったんだ。かつては、人それぞれに名前があったという話も、本で読んだ。その時代に生まれていたら、私はどんな名前だったんだろう。

 そうだ、会いたいんだ。  誰かの名前を、呼びたいんだ。

 蛍の光みたいに、すぐに消えてしまわない、名前のある誰か。

 私は求めていたんだ。  呼びたいんだ。

 いつまでも、変わらず傍にいてくれる誰かを。

 誰か、誰か──。

【掌編小説】のっぺらぼうは黄昏に

 

 人気のない道端でしゃがんで泣いて、心配して声をかけてくれる人に自分の顔を見せて驚かせる。脅かしてどうするのだと言われても仕方がない。私はそういう妖怪なのだから。
 ある日、いつものように啜り泣く私に、小さな男の子が声をかけてきた。さて、どうしたものか。人を脅かすのが私の仕事だけど、流石にこんな子供には刺激が強すぎる。
 私は黙って俯いたまま、心配そうにこちらを見つめるその子を置いて、その場を走り去った。
 私は、人の驚く顔が見たい。驚いた顔が好きだ。“驚いている”という、その感情がはっきりと分かるから。驚いて見開く目も口も無い私には、一生できない感情表現だから。
 だけど、男の子に声をかけられたあの日から、私は人を驚かせるのをやめてしまった。

 

 

 自然豊かなこの山麓には、数軒の小さな店が並んでいる。霜降に入り、辺りの葉が色づき始めていた。
 いつの頃からか、私は此処に居座るようになった。何世代も見てきた馴染みの団子屋で一息ついていると、いつもの如く、この店の娘が私の隣に腰掛けた。

「今日は、新作のお団子を食べてみて」

手渡されたのは、濃淡の分かれた緑の三色団子。三色と言ってもいいのだろうか。

「私のご先祖様は皆、あなたにお団子を食べさせようと躍起になっていたみたいね。でもあなたは食べなかった。それはお団子を食べる口が無いからかしら」

その口が無いから、私は彼女に返答をしない。

「私は、そうは思わないな。あなたは心を開いていない。だからお団子も食べてくれないし、ずっと俯いたまま」

娘はほうじ茶を啜り、足先に落ちた紅葉を拾い上げた。

「表現の仕方って、色々なんだよね。私の作るお団子は地味だってよく言われるけど、色鮮やかなお団子にも負けないくらい美味しくて好きだって言ってくれる人もいる」

 娘の指に挟まれた紅葉は濃い紅色をしていた。美しい色。でもそれは、見る側の主観でしかない。葉に自我があるのだとしたら、葉は自身の紅色をどう思うのだろうか。

「顔が無いから、皆驚いて逃げて行く。そういう妖怪だって聞いたけど。この世にのっぺらぼうがどれだけ居るのかは知らないけど、あなたは人を驚かせたいようには見えないな」

そう言って娘は、紅葉を私の膝の上に添えた。

「紅葉のように、あなたは素敵」

 私には口が無い。だからお団子を食べる事はしないし、可笑しな事があっても、笑う口が無いのだから、口元を手で隠す必要も無い。それでも何故だか気恥ずかしいものだから、私はそういう仕草をしてしまった。

 娘は立ち上がり、大きく伸びをした。

「そろそろ戻らなきゃ。また来てね。素敵で照れ屋な妖怪さん」

 店の奥へと小走りで戻っていく娘を、見送る目の無い私は見送った。そうして、微笑む顔の無い私は、やはり微笑んだのだと思う。
 私は店を後にした。黄昏に染まる空は、置いてきた団子に添えたあの紅葉のようだった。